酒井和彦の森の学校 2021冬

ソ連邦の崩壊とハバロフスクのタイガ

昔のコペンハーゲン行きの飛行機は北朝鮮を迂回し、ソ連の上空に入ると窓のカーテンを閉めて撮影禁止で、ひと寝して目が覚めてもまだ広大な森林地帯の上を飛んでいました。
そしてソビエト連邦が崩壊し、ゴルバチョフが辞任して間もなくの頃、シベリアのタイガを見る機会を得ました。
飛行機は新潟からで、寒い空気の漏れこむアエロフロート機でした。
ハバロフスクの街中は自由市場以外閑散とし、毎朝アムール川での釣りも餌がホテルのソーセージで、まずいのか釣果ゼロでした。
期待していたキャビアなどの食べものもなく日本食堂「サッポロ」のわらびのお浸しだけが記憶に残っています。
写真はグリーンピースとWWFのネットからの借用です。

タイガの造材現場までは5人しか乗らないのに地上高が高いため借り上げのおんぼろバスの中で傘をさしながら5時間もかかったのは配給の燃料券が不足で何回も給油したせいでもありました。
こんな遠くにしか森がなくなったのは、日本に木材を売って外貨を稼ぐためでした。しかし今や小樽や石狩の港から北洋材の山が消え札幌の街からはカチューシャなどロシア民謡やポルシチなどの料理もなくなりました。
途中何ヶ所も見た森林火災の跡が、地下に眠る氷を溶かしていることが理解できました。造材の飯場は床下に川を引き込んで冬の間に凍らせた上に建ててあって涼しい事、ノルマが厳しい事、マイナス40度になると休みになることなどの話が聞けました。林業用のクレーンもアームが低温脆性で折れるとのことです。
樹種は河畔のカツラ以外見渡す限りエゾマツの純林でした。
広さは別として、イメージは二ペソツ山がないだけで昔の十勝三俣そっくりでした。
このタイガは美しい森というより、地球の肺というか広大さに圧倒されました。子供たちには、森の大事さを百回話すよりこの景色を一度見せたいものです。
時は過ぎて2001年暮れ、CWE社の企画で5回にわたる森林保全講習会を経て森ボラは誕生するのですが、シベリアのタイガの山火事により永久凍土が熔けてメタンガスが噴出し地球温暖化を促進している講義を受けました。

またまた時は過ぎて2016年10月1日、私達森ボラは支笏湖ユースホステルに植樹祭のために宿泊していましたが、妙齢の外国人女性が同宿していました。
ベルギーからシベリア鉄道に乗ってタイガを何日も旅し、船で稚内に上がったとのことで、翌日の植樹祭に飛び入り参加してもらいました。
40日休んでも国に帰れば同じ小学校に復職できること、転勤はないそうで、これぞ先進国だと思いました。
タイガとは針葉樹林帯のロシア語で広い意味では北海道の針葉樹林帯まで含まれるそうですから、彼女は今頃子供たちに「私は広大な針葉樹の森を何日も鉄道で横切って船に乗り、そのタイガ最南端の日本の北海道で松の木を植えてきました」なんて話しているかもしれません。
(酒井)

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